楽天市場をゼロから創ったCTOに聞く!
世界で勝負できる技術者になるために、今そして未来に必要なこと
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わずか1年で数万人規模の大企業から10人のベンチャーへ転職
小野寺 充(以下、小野寺):本日は、お忙しいところありがとうございます。楽天市場をゼロから立ち上げたCTO(最高技術責任者)というお立場から、さまざまなお話をお聞かせいただければと思っています。
安武 弘晃氏(以下、安武):当社の場合、 CTOという役職は設けていないのですが、常務執行役員として楽天グループの開発全般を取りまとめている立場から、お話させていただければと思います。
小野寺:楽天様へ入社された経緯を教えていただけますか。
安武:学生のときアルバイトで楽天の前身となる会社で、システムのモックアップ作りなどを手伝っていました。卒業後はインターネットの仕事がしたくて大手通信会社に就職したのですが、1年程で辞めて楽天に移りました。
小野寺:なぜ、大手通信会社を辞めようと思われたのですか。
安武:三木谷(現、楽天株式会社 代表取締役会長兼社長 三木谷 浩史氏)に「大きい会社はつまらないだろう?」と言われて、私自身もインターネットにより密接に関わる仕事をしたいという思いもあり、まだ当時は10人ぐらいしか社員がいなかったのですが、転職を決意しました。
小野寺:数万人の会社から10人の会社とは、思い切った選択ですね。
安武:大きな会社では新人が自由に仕事を選べず、当時はまだ国内でインターネットビジネスへ参入している企業も少なかったので、インターネット関連の仕事をするためには、他に選択肢がなかったというのが実情です。
小野寺:転職されてすぐに楽天市場の出店店舗向けASPサービスの開発を任されたのですね。
安武:10人しかいない会社ですので、できることがあれば何でもやるという感じです。当時としてはインターネットに詳しい方だったとは思いますが、特に秀逸なプログラマーだったわけではありません。そのため、 SQLなどの解説書を読みながら、システムを作っていきました。
技術者視点から捉える、楽天市場の成功要因とは
小野寺:開発担当者として、楽天市場のビジネスが成功した要因をどう分析されていますか。
安武:当初、私自身は楽天市場のビジネスが成功するという確信を持っているわけではありませんでした(笑)。インターネットにクレジットカード情報を登録して買い物をする人が、日本にどのくらいいるのか分からなかったからです。例えば、最初のバージョンのシステムでは、インターネットだけで発注をする、というのはオプション機能で、商品ページには電話番号が記載されており注文は電話で受け付ける店舗がほとんどでした。そのような状況で、楽天市場は13店舗からスタートしたのですが、どの店舗も三木谷や創業メンバーが必死な思いで承諾を取り付けてきた企業ばかりです。システムに不備があって撤退されては困りますので、開発部隊としては、店舗からの改善要望に対してシステム面で対応できることがあれば何でもしました。要望を受けたその日のうちに、機能を追加するといったことも日常茶飯事でした。
そのような対応ができる規模だったということなのですが、それを繰り返していくうちに店舗の担当者様とも信頼関係が生まれ、一緒にこのビジネスを成功させたいという雰囲気が高まっていったことが、一つの要因となったと思っています。
小野寺:それはすごく勉強になる話ですね。東陽テクニカは測定器を中心とする輸入商社ですが、開発ベンダーではない当社がお客様から信頼を得るためには、機器に関する専門知識だけでなく、お客様のニーズを的確に捉える能力や具現化する能力が必要です。技術者にとってテクノロジーを知っていることも重要ですが、こういう粘り強さも不可欠だと改めて感じました。
安武:それともう一つ。システムを通じて「顔の見えない不特定多数のお客様と対峙している」ことを常に心がけて開発に取り組んできたことも、お客様から支持して頂いた要因となっていると思います。
小野寺:「顔の見えない不特定多数のお客様と対峙している」ことを常に心がけるとは、具体的にどういうことでしょうか?
安武:楽天市場をはじめとしたeコマースの場合、お客様の最大の目的は、商品を買って手元に届けてもらうことです。もちろん、他の要素も重要ですが、商品が届くという目的が達成されなければ、サービスやデザインがいくら優れていても満足はしてもらえません。
では、何か事情があって商品を届けられないときにはどうすればいいのか。
例えば、世界的に有名なゲーム機の発売日にアクセスが集中して、システムがスムーズに動かなくなったことがありました。 100個限定で売り出しをされた店舗がいらっしゃったのですが、発売の30分以上前からアクセスが急増し、ピーク時で80,000を超えるセッションが溜まっているような状態でした。
当時のシステム基盤では、それだけアクセスが集中すれば処理がもたついてしまうのは避けられない状況でしたが、ブラウザの向こう側にいるお客様の立場になってみれば、80,000人が列を作って並んでいるとは思いもよらないでしょうし、販売開始の時間が来れば自分は買えると思っているわけです。この場合、商品を買えた100人のお客様には満足してもらえるかもしれませんが、残りの79,900人のお客様は買えるのか買えないのか分からないまま待たされ、やっとの思いでつながったら売り切れの状態だった、ということになります。在庫がないので商品を届けられないのは仕方ありませんが、買えなかったお客様にどう対応するかが重要です。ケースバイケースではありますが、この場合は、可能であれば次の購買機会を適切に案内すること。さらには、クレームの電話やメールにどういうメッセージを返すかといったことも考えました。
システムを増強することはもちろんですが、システム以外の部分もできることはたくさんあります。
今でも改善の日々ですが、優れたテクノロジーや手法を取り入れるだけでなく、「顔の見えない不特定多数のお客様と対峙している」ことを常に心がければ、何をすべきかが見えてくると思います。
楽天市場には、国内のトラフィックの約1割が集中することも
小野寺:多いときだとどのくらいのアクセスが集中するものなのでしょうか。
安武:最高だったのは、東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になったときですね。試合の途中で日本一になると予想できる展開で、記念セールがあることも皆分かっているので、試合終了前からアクセスが急増しました。
実際に買い物をしたいと思っているお客様に加えて、ちょっとした興味でアクセスする方も多く、私たちの計算では、ピーク時には国内のインターネットトラフィックの約1割に相当するアクセスが当社のシステムに集中している状況でした。
小野寺:そのような状況を前提にシステムを構築するとなると、システム投資の見極めは難しいですね。
安武:システムの停止や遅延はあってはならないことですが、無尽蔵に予算があるわけでもないので、突発的な要因を想定しながらも適正に判断していかなければなりません。また、新しいことに挑戦した上での失敗は社内では責めを負いませんが、その経験を次に活かさなければ信頼を取り戻すことはできません。
その点では、楽天市場のインフラの責任者だったとき、スパイレント・コミュニケーションズ社のAvalanche(アバランチ)製品には何度も助けられました。
小野寺:Avalanche製品ということは、サーバーへのアクセス負荷試験などでご利用いただいたのでしょうか。
安武:その通りです。楽天市場の場合、テレビなどで商品が紹介されると突発的にトラフィックが集中することがあり、お客様にも店舗様にもご迷惑をかけることになります。それを繰り返していては信用問題にもなりますし、セールなどであらかじめトラフィックが増えることが分かっている場合もあるので、Avalanche製品を使って何度も繰り返し負荷テストを行いました。
このような測定器がないと、これまで国内のeコマースが経験したことのないような状況を再現することは容易ではありません。また、短期間での負荷試験もあれば、負荷は大きくなくても繰り返すことで見つかる問題点もあります。Avalanche製品がなければ、見つけ出すのが難しかったケースは数多くあり、今でもインフラの担当者には無くてはならない存在ですね。
小野寺:測定器は使い方次第というところがありますが、そういうお話を聞くととても嬉しいです。また、トラブルのあるなしに関わらず、社内ネットワークのデータを収集し、可視化と分析するというフローを確立している企業では、問題点があれば解決策を迅速に見つけることができますし、トラブル自体を未然に防ぐことにもつながります。
安武:保守や監視は新規の開発に比べて軽く受け止められることも少なくありませんが、むしろ、動き始めてからが重要ですよね。
近視眼にならず、将来を見据えた仕事ができるようになればチャンスが増える
小野寺:三木谷様のように強いリーダーシップを持ったトップがいらっしゃる企業だからこそ、技術者として苦労されたことなどがあれば教えてください。
安武:苦労とは思っていませんが、いろいろな経験は全て自分の財産になっていると思います。
先程もお話しした通り、個人的に納得するか否かは別にして、三木谷の指示だからこそ信じて取り組めたという側面はあります。例えば、ケータイのインターネット画面から買い物ができるようにという指示を受けたときも、こんな小さな画面で買い物をする人がいるのか疑心暗鬼のままシステムを開発しました。また、『楽天フリマ』(現、『楽天オークション』)の開発をしたときも、インターネットを通じた個人間の取引がビジネスとして成立するか確信を持てないままシステムを開発しました。
しかし、ケータイショッピングは広く普及しましたし、後のスマートフォンへの対応でもそのときの経験は大く役立っています。
オークションに関しては、システムの開発だけでなく、サービスフローの設計から約款のチェックまで全てを一人で行ったのですが、サービスを開始してわずか数分で出品者が現れて、とても驚いたことを覚えています。少し話が逸れるかもしれませんが、技術者はどうしても近視眼的になってしまい、目先のことしか見えなくなることが多いということに危機感を抱いています。
プログラムの開発にしても、サービスを立ち上げることだけを考えて書いたソースコードと、その後の保守運用や発展性を意識して書くソースコードでは自ずと内容が変わってきます。どちらが優れたソースコードかと言えば、当然、後者であり、付加価値の高いものとなります。ソースコードは企業の財産でもあるわけですから、付加価値の高いソースコードを書ける技術者は優遇され、チャンスも増えるはずです。
小野寺:全く同意見です。技術者の皆さまには、より広い視点を持って将来を見据えた仕事をしてもらいたいと思います。
グローバルで活躍する技術者になるために必要なものとは
小野寺:若い技術者に、将来のためにやっておいた方が良いと思うことがあれば。
安武:やはり英語ですね。特に、テクノロジーの世界はボーダーレスなので、先進的で優れた技術をリアルタイムで理解しようとすると、英語ができるか否かが大きな差を生むことになります。
小野寺:日本語になるのを待っていたら、セカンドソースとなってしまい、遅れてしまうと。
安武:現時点で最新の技術だとしても、5年後には陳腐化している可能性があります。技術者の宿命でもありますが、常に新しい技術を習得しなければなりません。英語でコミュニケーションができれば、世界中の技術者と自由に情報を交換できる環境があるわけですから。
また、逆もあって、英語で情報を発信すれば世界で勝負できます。例えば、Rubyというプログラミング言語は日本人の技術者が開発したものですが、最初から英語で情報を発信していたため、アジャイル開発の分野では世界標準的な開発環境の一つとなりました。
小野寺:楽天様というと業績を計測するKPI(重要業績評価指標)を積極的に活用して業績を計測・評価されていると聞きますが、技術部門でもKPIを使うことはありますか。
安武:例えば技術者が意識するKPIの一つに可動率があり、楽天市場では年間可動率99.95%を目標としています。当然、100%が理想なわけですが現実的には難しく、また、仮に100%が目標だと1秒落ちてしまえばそれで目標未達ということになり、そのような状況では現場のモチベーションを維持していくことはできません。機械は壊れるものですし、お客様の使い方など外部環境も常に変わります。そういう中において、KPIという形で数字での基準を決めると、それを達成するために、知恵を絞り、何をするべきか、どう優先順位を付けて仕事をするか、前向きな気持で仕事に取り組むことができます。
また、KPIは現場とマネージメント層や経営者層がコミュニケーションするための基軸としても有効です。例えばレスポンスタイムの改善によって売り上げが向上するとすれば、経営層からの指示も具体的なものになりますし、現場も自分の書いたソースコードが売り上げに貢献しているのか実感できるようになります。
ただし、KPIは使い方を誤ると諸刃の剣になりかねません。例えば、作業時間と書いたコード数などを分析しても無意味ですし、むしろ重たいプログラムを作ることが評価されることになりかねないので、使い方が難しいのも事実です。KPI はお客様への影響、ビジネスへの貢献、という目線で設定をしていくのが大事だと考えています。
死語となって、はじめて技術の本領が発揮される
小野寺:では最後に、「技術の重要性」についてどう捉えていらっしゃるのかお聞かせいただけますか。
安武:技術を活用することで、より手軽に、いつでも、どこでも、低コストで、情報をコントロールできるようになり、これまで存在しなかった新しい価値が生み出されるようになってきました。最近話題となっているタクシーの配車システムも、乗りたい人と空車のタクシーをマッチングすることで、大きな付加価値を生み出そうとしています。リアルに店舗があるわけでもなく、在庫を持つわけでもない楽天市場も同様かもしれません。このような例を見るまでもなく、技術の重要性は今後さらに高まっていくと思います。
一方、矛盾しているようですが、技術やテクノロジーという言葉が意味をなさなくなることが理想だとも捉えています。
小野寺:技術だ、テクノロジーだと言っている間は、まだ発展途上だということですね。
安武:その通りです。例えば「インターネット」という言葉は無くなったわけではありませんが、意識することは少なくなりました。特に、私たちの子供の世代では水道や電気と同じで存在して当たり前のもの。「インターネット」を意識することなく、スマートフォンやパソコンを使って音楽を聴いたり、動画を見たり、ゲームをしたりしています。技術を意識することなく、サービスや価値が議論されるようになってこそ根付いたと言えます。
小野寺:現段階ではIoT(Internet of Things)がそれに該当するかもしれませんね。IoTはこれから実現されるものなので今は名前が付いていますが、当たり前のものになればIoTという言葉が死語になり、そのときこそ本当の価値が発揮されるということですね。
安武:そこに技術の本質があると思っています。
小野寺:本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。