モビリティニーズの変遷と自動車開発に求められる変革とは

株式会社東陽テクニカ 執行役員(CTO) 木内 健雄
株式会社東陽テクニカ 技術研究所 部長 木村 尚史

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目次
  1. 性能追求からエミッション対策へ、社会が求めるモビリティ像の変化
  2. 厳しくなる排気ガス規制への対応に、メカ的な対応を続けるか電子制御を導入するべきか
  3. ADASや将来の自動運転車の開発に向けて、開発ツールや検証機器の進化も必要

モビリティニーズの変遷と自動車開発に求められる変革とは

人の移動の最適化を目指したMaaS(Mobility as a Service)や、CASE (Connected/コネクテッド、Autonomous/自動化、Shared/シェアリング、Electric/電動化)と呼ばれる技術革新が進む近年、自動車のニーズや利用形態は大きく変わり始めています。

これまでも自動車、モビリティはその時代の社会状況やニーズに合わせて大きく変わってきましたが、CASEやカーボンニュートラルなど、自動車産業を取り巻く大きな動きにこれからの自動車開発の現場はどう対応していくべきなのでしょうか。

自動車開発の最前線でこれまで多くの実績を残してきた、元本田技術研究所上席研究員でありF1総監督も務めた東陽テクニカCTOの木内健雄と、東陽テクニカ技術研究所部長である木村尚史の二人が、自身の経験も踏まえてモビリティニーズの変遷やこれからの自動車開発に求められる変革などについて語りました。

性能追求からエミッション対策へ、社会が求めるモビリティ像の変化

―本稿のテーマはモビリティニーズの変遷と変革ですが、まず、なぜ人が車や飛行機といったモビリティを求めてきたのかを考えてみます。

木内: 人類の歴史を振り返っても、人は地球上を絶えず移動してその活動範囲を広げてきました。いわば人類と移動は切り離せないものなのでしょう。

そして、なるべく快適に、速く、遠くへ移動したいという欲求、本能がある。ただ、人の力だけで移動するにはスピードも距離も限界があります。だからツール、例えば自転車や自動車、飛行機などといったものを求めてきたのではないでしょうか。

そしてそのツールの進化を絶えず目指してきたということなのでしょう。ただ自動車をはじめ、そのような乗り物は単なる移動のためのツールでもありません。

私が子供の頃、家にセドリックのスペシャルシックスという車がありました。高度経済成長期の頃で、当時はマイカーを持つだけでも特別なことでした。父は商売をしており、まだ免許も持っていないのに車を買ってとても誇らしくしていたのを覚えています。

そのように自動車はまさに庶民にとって憧れの存在であり、当時は誰もがそんな憧れの対象を手に入れることを求めていたのです。

木内 健雄

木内 健雄

―1960年代の話ですね。車の保有台数が増え始めた頃です。

木内:1960年代後半、日本経済の成長期に伴って個人の収入も上がっていき、さらに道路インフラが整備(1969年に東名高速道路が全線開通)されていったことをきっかけに多くの人がそんな憧れの自動車を手に入れ始めます。

1969年の国内の乗用車保有台数は5万5,000台でしたが、その10年後の1979年には21万台といっきに4倍にも拡大しています1)

1) 一般財団法人 自動車検査登録情報協会 「自動車保有台数の推移」を参照
https://www.airia.or.jp/publish/statistics/number.html

―1960年代から70年代にかけてクルマにはどのような変化がありましたか。

木内: その頃のドライバーのニーズといえばやはり性能でした。他のクルマよりもスピードが出るとか、大出力であるとか、4気筒エンジンより6気筒エンジンであるとかですね。そして、開発する側もそのニーズに応えるために車の性能を向上させることに注力していました。

当時はひたすらメカニカルにどう出力を上げるか、ということが重要で、そのために吸排気系のチューニングなどを専らやっていましたね。そして自動車が進化していくのに合わせて日本のモータリゼーションが一気に加速します。

木村: モータリゼーションの時代に入って次第に大きな社会課題となっていったのが公害問題でしたね。自動車はスタイルが良くパワーがあればよいというものではなくて、排ガス対策も絶対に必要だとなってきた。

そこで自動車を開発する側もそういった社会的な課題に対応していくことが求められるようになっていったのでしょう。おそらく、自動車の電子制御に関しても注目され始めたのはその頃ですね。

木村 尚史

木村 尚史

厳しくなる排気ガス規制への対応に、メカ的な対応を続けるか電子制御を導入するべきか

―1980年代はどのような時代でしたか。

木内: 私がHondaに入社したのは1981年で、エンジン開発に携わることになったのですが、その頃はまだCVCC(Hondaが1972年に発表した低公害エンジン)の時代です。電子制御に関しては後発でやってはいましたが、Honda社内ではまだCVCCがあれば排ガス対策は大丈夫だという話でした。

確かに1970年の米国のマスキー法(自動車の排気ガスに対する大気汚染防止のための法律)はCVCCでクリアできましたが、徐々に排ガスに対する規制が厳しくなっていくと、もはやメカニカルな処理方法では排ガス対策が厳しくなっていきます。

それでキャタライザー(三元触媒:排ガス中の有害成分を酸化・還元によって浄化する装置)を使って排気ガスを処理するべきという方向に変わります。ただ、まだ希薄燃焼のCVCCが世界を席巻していましたし、CVCCでも十分いけるという意見も少なくありませんでした。

エンジンの開発部隊でも排気ガス対策はこれまでのメカ(CVCC)で行うべきか、それとも電子制御でやるべきか意見は二分化されていました。しかし、結局はキャタライザーを使うということになり、吸排に電子制御(燃料噴射)を使うことになる。その結果エンジンの効率も上がり出力も向上した。電子制御を取り入れたことが排ガス対策になっただけでなく、そういった良い面もありました。

なんといっても当時は、環境問題も重要とはいえ相変わらず出力へのニーズも大きく、車を売るにもパワーがやはり欠かせないものでしたから。結果としてCVCCをやめて、環境と出力の向上を両立したエンジンの開発ができたのでその時はそれでよかったのでしょう。

―その頃の開発はどのように行っていましたか。

木内: その頃の開発手段といえばまだまだ機械的なものや、機構的な開発が中心でエンジンならエンジン、トランスミッションならトランスミッションなど、それぞれの開発担当がその機能ごとに開発を進めていくものでした。

そして、それぞれが開発を進める中で出力や利便性の向上、さらに環境適合のようなことを少しずつ盛り込んでできたものを合体したら一台の自動車になる、そんな時代でしたね。

当時の開発に使っていた計測機器といえばダイナモですね。ローラー型のシャーシダイナモなどです。他にも一番お金がかかっていたのは排ガスの分析計でしょう。あとは実走テストです。1980年代から90年くらいはそのような環境、状況の中で自動車開発を行っていました。

―時代は1990年代に移ります。どんな時代でしたか。

木内 健雄・木村 尚史

木村: 私が大学を卒業したのが1990年ぐらいで当時、大学の自動車部に所属していたのですが、入部時には全ての車両がキャブレターでしたが、次第に電子制御の車両が入り始めました。メンテナンスしようとなったときに当時は誰もノウハウを持っておらず、仕方ないので整備書を片手に自分で配線図を見ながら勉強しつつメンテナンスをしていたなんてことがありました。

木内: その頃ようやく車に搭載できるサイズでそれなりの処理能力を持ったコンピューターやセンサーを作ることができるようになり本格的に電子制御の導入ができるようになりました。

もちろん自動車開発のコストの中に電子制御の機器をうまく収めることができたというのもありましたが、コンピューターが導入されて開発の手法も徐々に変わっていきました。

木村: クルマの電子制御化が進み、私も自動車開発の現場で働き始めましたが、その時代の開発現場で一番驚いたものが、ESC(Electronic Stability Control:横滑り防止装置)でした。

ESCの何に驚いたのかというとABS(アンチロック・ブレーキ・システム)やTCS(トラクションコントロールシステム)のように単独で制御するのではなく、曲がるスピードやエンジンの出力、各ブレーキなどを複合的にコントロールして車の姿勢を制御するという電子制御ならではの高度な仕組みです。氷の上をオーバースピードでカーブに進入しても自動的に減速して4輪を最適に制御してくれるのでスピンすることなく安定して走行できるのです。そして、その後ですね、エミッションについてどんどん厳しくなっていくのは。

木内: 当時はまだエミッション対策はエンジニアの仕事で、エンジンの燃焼を解析してそこにいろいろなアイディアを入れて排ガスを低減できないか、キャタライザーの浄化率を上げるのにどう触媒の温度を上げるか、などといった工夫をしていました。

ただ、いずれにしてもエンジンの燃焼など一つの技術を極めるやり方であり、自動車をトータルで制御してエミッションをクリアするという方向にはなっていませんでした。

―2000年代以降はどのような変化がありましたか。

木内: 2000年代に入ると今度はエンジンからハイブリッドの時代になります。1992年にHondaがF1から撤退後、私はハイブリッドやEVなどの電動化開発部門に異動になりましたが、そこから短期間で一気にハイブリッドやBEV全盛の時代になるとは想像していませんでした。

そもそもエミッション対策にモーターが使えるかもしれない、というスタンスで電動車の開発がスタートしましたが、米国の排ガス規制もどんどん厳しくなっていったというのも電動化に進む大きなきっかけでもありました。

木村: カリフォルニア州のZEV規制(zero emission vehicle requirement:カリフォルニア州内で一定台数以上を販売する自動車メーカーに対し、ゼロエミッション車を一定比率以上販売することを義務付ける制度)ですね。

木内:ZEVの規制値は年を追う毎に厳しくなって、もはやエンジンではどうにもならない。そこで電気を使って何かできないか、というところからハイブリッドの開発がスタートしたのですが、問題だったのがエンジンとモーターという二つのパワープラントをどうコントロールするかということです。

新しいシステムの開発には今までにはない想像力が求められるようになりました。ただ、そのための開発ツールにはいったい何があるのか、手元にあるのは相変わらずのローラーシャーシとテストコースでの実走です。

大容量のデータロギングや走る車に取り付けるセンサーもありましたがそれにも性能の限界があってなかなかかゆいところに手が届かない。結局は実走テスト頼みで、テストの結果どうやら何か問題がある、となっても人間の感覚頼みではそれを正確に突き止めるのが難しい。どれも簡単ではなく大変な苦労がありました。

ADASや将来の自動運転車の開発に向けて、開発ツールや検証機器の進化も必要

―ここまで時代の変遷を見てきました。今後の開発はどのように変わっていくでしょうか。

木内 健雄

木内: ハイブリッドが市民権を得ていくと、次の課題が交通事故など安全性の問題です。交通事故が増加していく中で自動ブレーキや車線逸脱防止機能などといったADAS(先進運転支援システム)開発が強く求められるようになってきました。

自動運転までいかないレベルの開発はすでに10年ぐらいやっていましたが、そのための専用の開発ツールがまだまだ足りていないという実感があります。結局、開発ドライバーに危険なテストをさせないと安全性が確認できない。でも、そろそろやり方を変えていかないといけないでしょう。何か効果的な開発ツールや検証機器などが必要です。

テストコースや道路を実走しなくても、効果的な開発や実証が行える、例えば少し大がかりなシミュレーションシステムみたいなものを開発する必要がある。今でいうHILS(Hardware In the Loop Simulation:ハードウェアも用いたシミュレーション)などですね。カメラやレーダーなど車載センサーに関してはシミュレーションで性能の検証をする。

そしてセンサーを組み込んだ完成車の性能や安全性を専用機器を使って見きわめ、そこから実走での検証につなげていく。そのようなものが必要ではないでしょうか。そんなツールや検証機器があれば開発する人間の大きな助けにもなるでしょうし開発効率も飛躍的に上がってゆくはずです。

木村: 今はADASのテストでも既定のプロトコルやシナリオをベースにそれをクリアすれば基本的にOK、とされているのですが、それでは実際の交通環境との間にギャップがありますよね。日常に起きている交通事故をキャッチアップして、それをツールに組み込み開発に役立てるということが必要になるでしょう。そんなツールや計測機器の開発は、当社の今後の課題かなと思っています。

ただ、自動車やセンサー開発のためのツールや機器を作るだけではなく、インフラ側の整備というのも同時にやっていかないといけない。自動運転や本来の目的である交通事故の低減の実現にはまだまだ課題があります。インフラの整備に関しても我々はどういうツールが提供できるのか、今後研究開発を進めていかなくてはいけないだろうと思っています。

CASEやMaaSなど、自動車の使われ方というのはこれから大きく変わっていくでしょう。そうなれば自動車の開発もこれまでのアプローチだけでは不十分です。開発者がカバーすべき範囲はさらに広がり、通信や自動運転、車内でのドライバーの行動なども考えていかなくてはいけません。新たなアイディアや発想が必要になってくるはずです。

木内: 昨年、ソニーとHondaがモビリティ事業の新会社 「ソニー・ホンダモビリティ株式会社」を設立しましたよね。そこではEVの販売とモビリティ向けサービスの提供を行うとされていますが、これからの自動車開発にはこのようなコンビネーションも必要となってくる。

木村: CASEと呼ばれる大きな変化を背景に車が電動化され、通信機能が搭載されるとモビリティは移動にとどまらず多様な機能・役割を担うようになります。自動車業界だけでなくさまざまなプレイヤーが独自の視点でモビリティを捉え、これまでと異なるビジネスの切り口でモビリティ領域に進出しています。

木内: これからの時代に、車内という空間をどう捉え、どう使うのか我々が発想できない切り口でユニークなアイディアを提案してくれるのではないしょうか。とても興味深く、どんな面白いことをしてくれるのか、このコンビネーションの未来に私はおおいに期待をしています。

プロフィール

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株式会社東陽テクニカ 執行役員(CTO)

木内 健雄

1981年に本田技研工業株式会社に入社。同年10月に株式会社 本田技術研究所に配属となり、同社初のEFIエンジンの開発に携わる。その後モータースポーツ分野(F1)でエンジン開発やアイルトン・セナやアラン・プロストの担当エンジニアとして輝かしい実績を上げた。電動車両開発、スマートモビリティ開発にも中心的に携わり、常に先端技術を突き詰めてきた。2017年に東陽テクニカ入社、技術研究所 所長。2020年12月より現職。

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株式会社東陽テクニカ 技術研究所 部長

木村 尚史

1998年 東陽テクニカ入社。
開発部、技術部を経て技術研究所にて自動車の計測・実験環境開発に従事。