自動車や他分野に拡がる無線通信技術とOTA計測の未来
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5GやBeyond 5Gといった次世代通信技術や、これを利用したコネクテッドカーなどの次世代モビリティ技術の開発が進んでいます。そのような中、2022年に、東陽テクニカ米国子会社のTOYOTech LLCと、携帯端末アンテナのOTA試験分野で業界トップである中国の専門技術集団General Test Systems Inc.(以下、GTS社)が、合弁会社AeroGT Labs Corporationを設立しました(以下、AeroGT社)1)。東陽テクニカ、TOYOTechの持つ市場への知見・販売力と、GTS社の技術を組み合わせ、世界市場に向けてOTA計測ソリューションを販売しています。無線通信の重要性が増す中、今後の事業拡大が期待されています。
GTS社の創設メンバーの一人で、OTA計測の専門家であるYihong Qi博士は、これまでに数々の特許を取得し、複数企業の経営を行う傍ら、大学でも指導を行っています。また、2024年7月には、IEEE(米国電気電子学会)のシンポジウムで、無線通信分野の技術革新に貢献していることが評価され、表彰されました。
今回はQi博士が研究するOTA計測とは何か、今後期待される自動車分野や他分野でのOTA計測の活用、そして研究者および起業家としての想いをお聞きしました。
1) 2024年9月、東陽テクニカの孫会社となる
無線通信機器の性能を評価。OTA計測とは
Qi博士の研究内容について教えてください
主にOTA(Over-The-Air)計測という方法を研究しています。携帯電話やスマートフォンなどの無線通信機器に必要不可欠なRFフロントエンド2)の性能をシステムの視点から確認するために、空間に電波を飛ばし、実際の環境に近い状態で動作させて総合的に測定・評価する方法です。
無線通信機器の性能を計測するために、数十年前はアンテナ部分と無線システム部分を別々に測定していました。しかし、両者の性能には関連性があり、一緒に測定することでより正確に性能を把握できることが分かってきました。ノイズの影響を含め、ユーザーの実際の体感に近い性能評価をすることができるのです。
また、5G通信の一部で利用されているミリ波3)など、より高い周波数の電波の利用が進む中で、アンテナの小型化が進み、場合によってはコネクターよりも小さくなり、無線システムがアンテナの一部になりつつあります。そのため、アンテナと無線システムを別に評価することが難しくなっているという状況もあります。こうした背景から、さまざまな業界でOTA計測の必要性が高まっています。
2) アンテナが受信したアナログ信号を、デジタルデータに変換するための前処理をする部分
3) 30GHz-300GHz程度の周波数の電波
これまでのQi博士の研究の中で印象に残っている「イノベーション」を教えてください
まず、OTA計測によって、レシーバーとトランスミッターの測定時間の差を埋めたことです。
OTA計測を始めた頃は、レシーバーの受信感度の測定に90時間かかり、トランスミッターの送信電力の測定は30分と、測定時間に大きな差がありました。
現在、GTS社とAeroGT社が提案するシステムでは、一つの角度からの電波に対する感度と360度のアンテナ感度を測定し、レシーバー全体の性能を算出することができます。この測定方法によって、受信感度と送信電力の測定にかかる時間がほぼ同じになりました。レシーバーとトランスミッターを同じ空間で、同じ精度で評価できるようになったことは大きなイノベーションと言えます。
AeroGT社のOTA計測システム
もう一つのイノベーションは、RTS(Radiated Two Stage)法の発明です。OTA計測にはマルチプローブ法、リバブレーションチャンバ―法、CTS法(Conductive Two Stage)などの方法がありますが、RTS法では、「MIMO(Multi Input Multi Output)」技術をより正確に測定できます。MIMOは、複数のアンテナを使って同時にデータを送受信して通信速度を向上させる技術で、5Gや次世代無線LANなど、さまざまな無線通信システムで重要な役割を担います。このため、信頼性の高い評価を行うことが求められています。
OTA計測の精度を高めるRTS法
Qi博士が発明したRTS法について詳しく教えてください
RTS法は、従来利用されていたCTS法を改良した測定法です。CTS法と同様に二つのステージから構成され、まず第1ステージでは、電波無響室4)でアンテナ性能を測定します。送受信両方に対して、3Dで完全な測定を行います。
4) 外部からの電磁波の影響を受けず、また内部でも電磁波が反射しないように設計された特殊な測定設備
第2ステージでは、送信アンテナと評価する被試験体をケーブルで接続して測定していたCTS法とは異なり、”Radiated(放射)” Two Stageという言葉のとおり、実際の環境のように電波を用いて無線で信号を送り、被試験体を評価します。CTS法では評価できなかった要素、つまり、被試験体自らが放出している電磁ノイズや干渉波の影響といったものも含めたより正確な評価が可能となりました。
CTS法、RTS法のより詳しい説明は東陽テクニカルマガジン27号の記事をご参照ください。
「近未来のクルマを支える通信技術と新しく誕生した評価方法」
RTS法が発明される前のMIMO測定では、多くのハードウェアを使用して物理的にすべての電波を放射して測定していたため、時間がかかり精度も低いものでした。RTS法では、試験中に被試験体を途中で動かしたり触れたりせずに測定できるため、測定環境の影響を受けにくくなります。また、基地局シミュレーターを用いてCTS法と同様の信号を生成して試験するため、不確かさの要因を減らし、再現性の高い測定結果を得ることが可能である、というのも利点です。
またRTS法では、デバイスを3D回転させる必要がありません。被測定アンテナの全方位を測定するため、従来のOTA測定用の設備では3D回転させる設備が必要でした。そのため、携帯電話やノートPCなど小型デバイスの試験はできますが、自動車の測定は困難でした。
今後自動運転の発展に重要な役割を果たすV2X(自動車同士あるいは自動車とインフラなどが無線で通信を行う技術)は、その多くが5Gかそれ以上の高度な通信システムに依存するため、将来的に自動車のMIMO性能を評価できるシステムが必要不可欠です。この点でRTS法の技術は革新的でMIMO性能評価の国際標準となっており、AeroGT社の提供するソリューションは市場で先行しています。
このRTS法を用いた MIMO OTA無線性能テストが試験精度を高め、試験サイクルの短縮を実現し、無線通信分野の技術革新に広く貢献していることが評価され、2024年7月、イタリアのフィレンツェで開催されたIEEEのアンテナ伝搬国際シンポジウム、およびイタリア国家委員会(ITNC)、米国国家委員会(USNC)、国際電波科学連合(URSI)の電波科学会議において、Qi博士は「2024産業イノベーション賞」を受賞し、その功績が認められました。
自動運転など、より高い精度が求められる評価にも対応するRTS法
今後、IoTや自動運転など、無線通信がさまざまな分野で使われます。車の無線通信技術の測定ではどのような課題がありますか
車の通信には、携帯電話の通信よりも厳しい条件が要求されます。携帯電話の通信は、多少の遅れであれば問題になりませんが、自動運転や先進運転支援システム(ADAS)においては、車同士や歩行者、信号などとの通信の遅れが事故につながる可能性があるため、タイムリーな応答が必要になります。MIMO性能も含めて正確な評価ができないと、人命にかかわることもありえます。
無線通信性能を正確に測定するには、測定対象のアンテナを中央に配置しなければいけませんが、車は小型デバイスとは異なり、サイズが大きく、アンテナの搭載位置も車の真ん中とは限らないため、アンテナを中央に配置できないという課題がありました。これまでの方法では、中央から30センチメートル以上離れていると、正確な測定結果が得られなかったのです。
赤く囲った部分が測定するアンテナ。中央に配置することができていない。
このような課題に対し、GTS社は、アンテナが中央から離れていても正確に測定できるソリューションを開発しました。この方法は、飛行機などのより大型な機器にも適用できます。
GTS社のコネクテッドカー向けOTA計測システム
自動運転などの先進的な技術の実現に必要なV2X通信には、どのような評価が重要ですか
5GやBeyond 5Gを活用するV2X通信では、広域接続、高データ転送、低遅延が重要です。このうち無線周波数の観点から見ると、低遅延はRTS法を用いたMIMO OTA測定で評価できます。無線システムがアクティブな状態(通話状態)でMIMO OTA測定を行い、スループット(単位時間当たりに送受信できるデータ量)を評価した結果を、さまざまなパラメーターに変換することで、間接的に遅延が評価できます。
無線通信の活用では、自動車の他にどのような分野に注目しますか
無線通信は自動車、航空機、船などさまざまな分野に拡大しています。今後はもっと小型なもの、例えば人型ロボットなどにも適用されるでしょう。また、高齢者の見守りなどではプライバシーの懸念があるため、カメラではなく30~300GHzの電波を利用するミリ波センサーの使用が拡大する可能性がありますが、正確性が特に重視されます。
また、半導体検査でも、アンテナ・イン・パッケージ(AiP)技術が採用されると、RTS法を用いたOTA計測が活用されると考えています。これまでは測定にプローブを使用していましたが、半導体のサイズが小さくなり、トランジスタが密集すると、性能評価に影響を与えます。つまり、マイクロ波ミリ波デバイスでは、半導体ウェハのエッチングパターン上にプローブを当てて検査しますが、この際、回路インピーダンスの変化や接触状態の違いによる測定結果の不確かさが大きくなるなどの問題があります。これを解決する手段としてOTA(非接触)での測定が期待されており、将来的には主流になると考えます。
研究者、起業家としての想い
Qi博士はさまざまな研究で生まれた技術や手法を生かして、多くのビジネスを起業されました。GTS社もその一つです。研究や起業のモチベーションを教えてください。
私がResearch In Motion社(現BlackBerry社)に在籍していた頃は、主に無線システムの設計に関連する仕事をしていました。その頃から目指していたのは、人間にとってより安全な技術の研究です。
その一つとして、私が発明したマルチバンド・スマートアンテナ技術では、携帯電話の下部にアンテナを配置するようになり、基地局との接続がより安定しました。また、脳腫瘍を引き起こす可能性があるとも言われていた人の頭部に到達する放射電波を低減することにもつながり、世界で2,000万人が使用しているとされる補聴器も干渉の影響を受けにくくなくなりました。
GTS社のOTA計測技術も同じです。すべての自動車が安全に動作するようにセンサーを評価することで、事故を防ぎ、人々の安全につながります。
東陽テクニカとパートナーになった理由を教えてください
2017年に知り合いの教授から紹介を受け、サンフランシスコで東陽テクニカのメンバーに会ったのが始まりです。東陽テクニカはさまざまな分野での経験と技術力を持ち、自動車テスト、EMCテストの分野での知見があります。
GTS社は、OTA計測に関連する最先端のアカデミックな研究を進めてきました。OTA計測に関する世界初の書籍5)も執筆し、製品開発の基盤となっています。また、多くの特許を取得し、製品の独自性や革新性につながっています。
GTS社が提供するOTA計測技術と東陽テクニカの経験を組み合わせることで、より良いソリューションを生み出すことができると確信しました。
5) 書籍:“Over the Air Measurement for Wireless Communication Systems”
出版:Artech House Publishers
著者:Yihong Qi、James L. Drewniak
発売:2024年2月
AeroGT社の経営で大切にしていることは何ですか
AeroGT社はGTS社などのOTA計測ソリューションを、より広い分野に広めることを目指しています。例えば、OTA計測を東陽テクニカが長年取り扱ってきたEMC測定や電波妨害干渉測定システムと統合することで、電磁ノイズの多い環境での自動車の性能評価が可能となります。将来的には、アンテナが組み込まれた完成形に近い状態でOTA計測を行うことで、アンテナがない状態と比べて不確かさを減らすことにつながります。また、組み込みアンテナの性能や電波干渉、電磁波ノイズを含めた性能評価が可能となるため、実環境(ユーザー体感)により近い事象を再現したテストができます。
我々の挑戦は始まったばかりで、これから若い方々が主力として活躍することを願っています。将来的には半導体測定も対象になると思いますし、製品ラインを拡大し、より幅広いアプリケーションに対するソリューションを提供できるでしょう。
若い学生やエンジニアへのメッセージをお願いします
私は現在、米国のミズーリ工科大学とカナダのウェスタン大学で非常勤教授を務めているほか、中国や日本の大学とも関わりがあります。学生には大切にしてほしいことがあります。
まず、国際標準活動に積極的に参加するよう求めます。CTIA(アメリカの無線通信企業の業界団体)や3GPP(携帯電話通信の国際標準化団体)、将来的には5GAA(5G技術の自動車への活用を目指す業界団体)に貢献してほしいです。そのためには研究が非常に重要で、大学で身につけたアカデミックな知識を活かすことを期待しています。
次に、特許に貢献することです。私は取得済みと審査中を合わせて500件以上の特許を持っていますが、学生にも、世界でイノベーションを促して将来の事業を支える存在になってほしいと願っています。
さらに、学生が新しい発見をして論文を執筆し、その内容が多く引用されることを期待しています。引用されることが多い論文は学術界への貢献を示します。
若い世代には独創的に学んでもらい、彼らが力を存分に発揮できるように、アカデミックな研究と実際のエンジニアリングのギャップを埋めることが今の私の夢です。