技術資料

EC-Lab®EIS信頼性評価(quality indicator):THD、NSD、NSR

本内容はBiologic社が発行するApplication note #64を2020年7月時点で翻訳したものです。今後、原文が改訂され、内容が変更された場合には、改訂後の原文の内容を優先いたします。

1.導入

EISは、ある状態の電気化学系の研究において、界面で起こる反応の性質を理解するために使用される有効な測定手法であり、電位または電流の正弦波を印加することで得られる測定系の線形応答解析により求められます。 上記で定義したEISを使用するには、研究対象となる反応系について様々な要件を満たす必要があります。

  1. 測定系が線形であること
    線形な測定系の簡単な例は抵抗です。[1]
  2. 測定系からの応答が一時的ではないこと
    定常状態または永続的な状態に達している必要があります。[2]
  3. 測定系を定義するパラメータが実験中不変であること
    経時変化する測定系におけるインピーダンス測定は、誤った解釈をもたらす恐れがあります。[3]
  4. 測定系は、実験中一定であること
    例えば、不活性化する電極などは測定に適しません。

ほとんどの電気化学反応は非線形の挙動を示します。しかし、小さな振幅を印加することでそれらの挙動を線形とみなすことができます。この振幅の値は測定系の特性に依存するため、測定系ごとに選択した振幅が十分に小さいことを確認する必要があります。これがEIS quality indicator機能の一つ目、全高調波歪み(THD)の目的であり、線形性を確認することが出来ます。
さらに、測定系全体とその応答は、実験を通じて変化していないことも確認する必要があります。これは、写真を撮るときになぞらえて考えることができ、シャッターが開くときに被写体が動いてはいけないのと同様です。その際利用できる二つ目の指標が非平衡歪み(NSD)です。
さらにもう一つ、応答信号の品質に関連したノイズ対信号比(NSR)も利用できるようになっています。これにより、入力信号が小さすぎず、測定されるノイズに比べて応答の振幅が大きくなっていることが確認できます。

2.理論

この章では、各指標について簡単に説明します。
より理論的な情報については、EC-Lab User's Manualを参照してください。

2-1.全高調波歪み(THD)

導入で紹介したように、電気化学系のほとんどは非線形です。小さな振幅の入力信号を印加することにより、非線形な測定系も線形とみなすことができます。
THDは、測定系に印加される電流振幅、電位振幅のいずれかが線形に振る舞うと考えるに十分小さいかどうかを示します。系が非線形に応答する場合、出力信号にはいくつかの高調波が含まれます。THDは、N個の高調波の振幅を評価することによって非線形性を定量化します。

式(1)

ここで、|Yf|は基本周波数f(または第1高調波)における信号の振幅で、|Yk|はk番目の高調波の振幅です。
THDはパーセンテージで表されます。一般的に、THDの値は5%以下が好ましいとされておりますが、測定系により異なります。EC-Lab®では、6つの高調波(N = 7)の電流と電圧の両方で計算されます。測定系の線形性と非線形性の詳細については、[1]を参照してください。

2-2.非平衡歪み(NSD)

導入で述べたように、測定系とその応答はインピーダンス測定中の経時変化がないことが重要です。
測定系の非定常性に関する原因は以下の2つに区別することができます。

i)測定系の応答が永続的な状態に達していない。
ii)測定系を定義するパラメータが時間と共に変化している。

非定常な測定系の応答には、基本周波数に加えていくつかの隣接周波数が含まれます。
したがって、NSD指標は以下のように定義されます。

式(2)

ここで、Yfは基本周波数f(または第1高調波)における信号の振幅、Yf-ΔfおよびYf +Δfは基本周波数のすぐ隣のピークの振幅、Δfは周波数分解能です。(Δf= 1 / Tであり、Tは測定時間です) NSDはパーセンテージで表現され、電位、電流について計算されます。 EC-Lab®におけるドリフト補正機能も隣接周波数の補正に基づいています[2]。

2-3.ノイズシグナル比(NSR)

理想的な測定では、すべての応答信号のエネルギーは基本周波数に含まれているべきですが、測定デバイスの精度や外部から励起されるなどのさまざまな要因によって、基本波以外の周波数にもエネルギーが発生し、これをノイズと呼びます。
NSRは測定におけるノイズの程度を定量化し、次式を用いて表されます。

式(3)

式

これは、以下に含まれていないすべての信号の寄与を表します。

  • 基本周波数
  • THDを計算するために使用される6つの高調波
  • NSDを計算するために使用される基本周波数に隣接する周波数の信号

これらの指標を説明するためにいくつかの測定結果を示します。

3.電気回路における測定結果

3-1.テストボックス-3#1:線形な測定系

図1のように、テストボックス‐3に対応する電気回路の直流に対する応答は線形です。

図1

図1:テストボックス-3#1の定常状態応答
掃引速度:20mV/s

図2は、振幅を変えながら測定したナイキスト線図を示しています。
これらの測定は、BP-300に微小電流測定用オプションを搭載したチャネルを使用して行いました。

図2

図2:2,5,10,13,15,20 mVと振幅を増加させ、テストボックス-3#1でEIS測定した時のナイキスト線図
周波数範囲:100kHz~1Hz

いずれの振幅でもナイキスト線図が同じであることがわかります。これらの図は、R1 + R2 / C2 + R3 / C3等価回路を使用してフィッティングすることができます。フィッティングの結果は表A1に示しています。6回の測定の標準偏差(σ/平均)は0.21%を超えず、インピーダンスが入力振幅に依存しないことを示しています。図3は、6回の測定すべてにおける電流のTHD(THD I)を示しています。

図3

図3:2,5,10,13,15,20 mVと振幅を増加させ、テストボックス-3#1でEIS測定をした時のTHD
周波数範囲:100kHz~1Hz

電流に対するTHDの値は決して1%を超えず、振幅が大きくなると減少します。これは、式1を用いることで説明できます。電位変調の振幅が増加すると、基本周波数Yfの振幅も増加しますが、高調波の振幅(測定ノイズに起因するもの)は同一のままです。その結果、THD Iは振幅の増加とともに減少します。

3-2.テストボックス-3#2:非線形な測定系

テストボックス-3#2は、図4に示すようにButler-Volmer式に即した電気化学系を模擬しています。

図4

図4:テストボックス3#2の定常状態応答
掃引速度:20mV/s

様々な振幅におけるEIS測定を行いました。測定の詳細なパラメータは付録 A1に示します。測定結果を図5に示します。

図5

図5:2,5,10,13,15,20mVと振幅を増加させ、テストボックス-3#2でEIS測定した時のナイキスト線図
周波数範囲:100kHz~1Hz

インピーダンスのナイキスト線図は振幅とともに変化していることが分かり、振幅が増加するにつれて、低周波数値におけるインピーダンスは減少します。 非線形応答ではありますが、この回路はR / C電気等価回路を使用してフィッティングできます。フィッティングの詳細な結果は付録表A2に示しています。R1の値の標準偏差は2.34%であり、インピーダンスの測定結果が入力電圧振幅に依存することを示しています。
図6に対応するTHD Iを示します。

図6

図6:2,5,10,13,15,20mVと振幅を増加させ、テストボックス-3#2でEIS測定した時のTHD I
周波数範囲:100kHz~1Hz

5mVのときTHD Iが5%になり、これは許容範囲内とみなすことができます。5mV以上では振幅が大きすぎて、THD Iが10mVで10%、20mVで約20%になってしまいます。これにより、THD I、ひいては系の非線形挙動も周波数に依存することが分かります。
図6に示す結果より、測定の非線形性を無視する方法があります。それは、測定の周波数を100 Hz(log(100) = 2)以上に制限することで、この値(100Hz)以上ではTHD Iは選択したすべての振幅に対して常に5%以下になります。
この特定の例では、電気回路の構成要素の値が時間の経過と共に変化する理由がないので(温度は実験が行われた部屋で制御されています)、NSDは関係しません。

図7

図7:2,5,10,13,15,20mVと振幅を増加させ、テストボックス-3#2でEIS測定した時のa)電位のNSRおよび b)電流のNSR
周波数範囲:100kHz~1Hz

EC-Lab®で使用可能な最後の指標はNSRです。これはすべての周波数(基本周波数、基本周波数に隣接する周波数および6つの高調波を除く)の振幅を合計し、その合計を応答の基本周波数の振幅で除算した値です。

図7aは、振幅が増加するにつれてNSR Eが減少することを示しています。これは、式3の項Yfが増加していることによるものです。2mVの場合は、THD I(図6)の値からは適切な電圧の大きさであることが分かりますが、 NSR Eの値が大きくなってしまっているため、このインピーダンス測定には不適であることが分かります。5mVの振幅では、NSR Eの値は約5%であり、良好な結果と言えます。
NSR Iの値を考えると、小さな振幅を用いることでノイズに影響を受けやすくなることはさらに明瞭となり、その値は最大で70%にも及びます。
鋸形の信号は電流のオートレンジによって説明されます。低周波になるにつれて電流が減少すると、電流レンジも小さくなります。低い電流レンジに移動すると測定の精度が向上し、測定ノイズとNSR Iが減少します。

この鋸形のNSR Iは固定の電流レンジを使用することで除去することができますが、これは低周波側で大きな問題となる恐れがあり、測定すべき電流振幅に対して測定レンジが大きすぎることで精度が悪くなり、さらに大きなNSR Iの値となってしまいます。
適切な振幅の選択は非線形性とノイズ信号比との間のトレードオフとなります。図5および図7bからわかるように、高いNSR Iであっても必ずしもノイズの多い測定であると意味するわけではありませんが、10%のTHD Iは測定結果に影響を及ぼす場合があります。

次に、NSD quality indicatorを説明するために非定常な測定系(バッテリーの充放電)に関するいくつかの結果を示します。

4.電池の放電による結果

定電流モードでのインピーダンス測定を、市販のSamsung ICR 18650型バッテリーを用いて実施しました。詳細な条件を付録A3に示します。 放電には2つの異なる放電電流値:-20mA、-25mAを使用しました。

印加した電流振幅は、両方の放電電流に対して10mAです。
図8aは、インピーダンスのナイキスト線図を示し、図8bは電位応答に対するNSDを示します。
応答信号は図8bに示すように、1Hz付近から非定常性によって歪み始め、-20mAの放電電流の場合、NSD Eは15mHzで5%を超えます。放電電流が増加すると、NSD Eは同じ周波数での測定でも増加します。これは、電池の状態が時間とともにより急速に変化するためと考えられます。そのため、このときのNSD Eは50mHzより高い周波数で5%を超えます。
この実験では、NSDの値は直流によるサンプルの変化に依存し、非定常性の原因は測定系の変化となります。すなわち、一定の放電電流を流していても、サンプルの変化の大きさは時間によって変わります。高周波においてNSDの値が小さいのは、系の変化が測定に影響するほど速くないためです。

図8

図8:市販の18650 LFPバッテリーa)ナイキスト線図 および b)NSD E 2つの放電電流:-20mA(青色)、-25mA(赤色)。 10mAの変調振幅
周波数範囲:100kHz~10mHz

5.結論

このノートではEC-Lab®のEIS quality indicator機能を用いて電気化学インピーダンス測定の信頼性を定量的に評価し、最適な測定パラメータを見つける方法を紹介しました。
THDとNSRを使用することで印加するAC振幅を最適化することができ、NSDによって測定系に印加するDCバイアスの大きさを最適化できます。
振幅が小さい場合にはTHD Iが低くなりますが、NSR Eが高くなるため、この妥協点が適切な条件になります。OCP(自然電位)と比べ高い電位が印加されると、OCPの時より確実に高いNSD Iになります。
これらの周波数に依存するパラメータは、テストボックス-3および市販の電池を測定した結果とともに示しました。

参考文献

1) Application Note #9 “Linear vs. non linear systems in impedance measurements.”
2) Application Note #17 “Drift correction in electrochemical impedance measurements”
3) Application Note #55. “Interpretation problems of impedance measurements made on time-variant systems.”

付録

図AI

図AI:図2、3、5~7に示す結果のパラメータ。他の振幅も同様

表A1

表A1:図2のインピーダンスデータのフィッティング結果

表A2

表A2:図5のインピーダンスデータのフィッティング結果

表A3

表A3:図8に示す結果のパラメータ

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